【エルサレム】トランプ大統領が大使館をエルサレムに移転したら起こる問題

なぜトランプ大統領イスラエルの首都宣言をしたことが問題なのか

書いていきます。

 

 

2018年にトランプ大統領イスラエルの首都をエルサレムと宣言、

そしてアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転しました。

 

イスラエルのネタニヤフ首相はこのトランプ大統領の決断を歓迎しました。

逆にパレスチナ自治政府アッバス議長は批判しました。

 

そもそもエルサレム国際連合の管理下にあるので、

イスラエルの首都ではありません。

 

ではなぜ、トランプ大統領イスラエルの首都をエルサレム

宣言したのか、書いていきます。

 

 

エルサレム大使館法

 

1995年に「エルサレム大使館法」という法律がアメリカ議会上下院で

通過しました。

これはイスラエルにある大使館をテルアビブからエルサレムに移転させるという法律です。

しかしこの法律は大統領が六カ月ごとに移転の先送りを命じることを認める文言があり

歴代の大統領は大使館の移転を先送りにしていました。

 

この法律が登場する前に1993年にイスラエルパレスチナ解放機構PLO)によってオスロ合意と呼ばれる協定が結ばれました。

オスロ合意はイスラエルパレスチナの両者が相互の存在を認めた上でイスラエル

占領地域から撤退して、その土地をパレスチナ自治政府自治を認めるとのことでした。

 

つまり和平が進めば

占領地がパレスチナ自治政府に返され、

イスラエルパレスチナの2国が成り立つというものでした。

ですが、イスラエルの和平反対者はイスラエルパレスチナの土地を返す必要は

ないと考えオスロ合意に反対していました。

 

そんな中、1995年の10月に当時のイスラエルのラビン首相がアメリカに訪問する

予定がありました。

当時アメリカには多くの和平反対者がおり

翌96年はエルサレム建都3000年の節目であることから

和平反対者には何らかの措置が必要になっていました。

 

その措置として「エルサレム大使館法」は和平反対者に対して

どうしても成立させる必要がありました。

ラビン首相が訪問するまでに「エルサレム大使館法」を成立させ、

ラビン首相は「エルサレムは不可分で国家としてイスラエルの首都として永続的である必要がある」と演説しました。

 

しかし、この10日後にラビン首相は和平反対者の青年に殺害されます。

 

和平に向けて進んでいた状況がひっくり返り、

状況が滞ることになり、緊張状態が続くことになりました。

20年以上前に移転は決まっていますが、

歴代大統領は外交において悪影響がでることを懸念して

エルサレム大使館法」を先送りにして移転実行はしていませんでした。

 

ところが、突如2018年にトランプ大統領

イスラエルの首都をエルサレムだと宣言しました。

 

なぜ、批判されることが分っていながら

エルサレムの首都宣言をしたのか?

 

これはアメリカ大統領選でトランプ大統領が掲げていた

選挙公約を守るためです。

それはトランプ大統領を応援してくれている

ユダヤ・ロビー」に配慮した結果なのです。

 

これは次の大統領選を見据えて

歴代の大統領はできなかったが自分はやったんだ、というパフォーマンスです。

自分の能力を見せつけるアピールです。

 

アメリカの選挙ではユダヤ票が勝敗を左右する重要な要素になり

その中でも福音派の票がおおきな要素になるようです。

ちなみに副大統領のマイク・ペンス福音派だそうです。

福音派とは聖書を忠実に尊守していこうとするキリスト教徒の宗派。

聖書に「神がイスラエルの地をアブラハムの子孫(ユダヤ人を指す)に与えた」という記述があり、パレスチナエルサレムを含む)の地はユダヤ人が支配すべきであると考えているのだそうです。

つまり神が与えたエルサレムユダヤ人が管轄しなければいけないと彼らは思っています。

 

アメリカが大使館を移転することでイスラエルパレスチナ

和平の道はさらに悪くなるのは必須です。

 

今後どのように中東が動いていくのか要注意です。

エルサレムはどこの国?エルサレム問題とは一体何なのか?

こんにちは!

 

りょーです。

 

2018年にトランプ大統領イスラエルの首都はエルサレムだと宣言して

大きな話題になりましたね。

 

そもそもなぜ首都宣言がこんなに大きな問題なのか、

エルサレム問題と何なのか分からなかったので調べてみました。

 

 

まずエルサレムとは

前回の記事でも書きましたが、エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教の3つの宗教それぞれの聖なる地がある場所です。

 

つまり3つの教徒にとっては絶対に譲れない場所なのです。

 

 

歴史的背景

第一次世界大戦でドイツ、オスマン帝国(現トルコ)が敗れ

エルサレム含むパレスチナの地域はイギリスの管理下になります。

 

また同時に第一次世界大戦中にイギリスは戦争の資金を得るために

ユダヤ人の富裕層に対してパレスチナにナショナルホーム(ユダヤ人の故郷となるべき土地を作ること)設立を認める書簡を送ります。

 

これにより、ユダヤ教の聖地の「嘆きの壁」があるエルサレムに多くのユダヤ人が

植入します。

その結果、元々この土地に住んでいたアラブ人と対立をするようになります。

 

また、ドイツのヒトラーによるユダヤ人の迫害もあり更に多くの

ユダヤ人がエルサレムに入ります。

 

そしてイギリスはこのユダヤ人と現地に元々住んでいたアラブ人との

対立を抑え込むことができない状態になります。

1947年に国連のパレスチナ分割決議で

パレスチナの土地の56.5%をユダヤ国家、43.5%をアラブ国家とすることで

イスラエル、アラブの2国を建設することに。

エルサレムは国連の管理下となりました。

この提案をアラブ側は拒否、イスラエル側は1948年のイギリス軍の撤退にあわせて「独立」を宣言します。

 

 

途中整理

第一次世界大戦エルサレム含むパレスチナの地域はイギリス管理下になった。

イギリス、ドイツのヒトラーの影響で多くのユダヤ人が

エルサレムに植入したため、現地に元々住んでいたアラブ人と対立

イギリスは両者の対立を抑え込めなくなった

国連がパレスチナ分割決議によって

パレスチナの土地をイスラエルユダヤ人)、アラブ(現地に元々住んでいた人)の

2つに分け、国を建設する。

エルサレムは永続的に国連が管理することになったが、アラブが拒否。

 

 

 

このイスラエルの独立宣言を阻止するためにアラブ周辺諸国

パレスチナの同朋を救うことを名目に戦争を起こします。(第一次中東戦争

 

この結果、アラブはイスラエルに敗れ、

アラブのパレスチナ大半の土地をイスラエルに渡すことになります。

ですが、ヨルダンがヨルダン川の西岸の一部、エルサレムの東側(3つの宗教の聖地がある土地)に留まることになりました。

 

ヨルダンは1949年にイスラエルとの停戦協定を結び、翌年、西岸と東エルサレムを併合しました。

 

 

そして1967年に始まった第3次中東戦争によってイスラエルエルサレムの全域を占領し、「分割されない永遠の首都」だと宣言しました。

この宣言後、イスラエルの首相や閣僚たちがエルサレムの問題について語る際には、エルサレムという街の名前の前に「統一された」や「不可分の」とか「永属的な」という

という言葉をつけ加えます。

つまりエルサレムはすべてユダヤ人のもので、キリスト教イスラム教と分割することはできないという宣言です。

 

 

途中整理

イスラエルの独立を防ぐためにアラブが戦争を起こす

アラブがイスラエルに敗北。パレスチナのほとんどの土地を奪われる。

ヨルダンはヨルダン川の西岸の一部、エルサレムの東側(3つの宗教の聖地含め)に留まる

停戦協定でヨルダンが西岸と東エルサレムを併合

第三次中東戦争イスラエルエルサレムを占拠

「分割されない永遠の首都」だと宣言。(エルサレムユダヤ人の土地だと宣言)

 

 

第三次中東戦争イスラエルエルサレムを自国の首都だと宣言しましたが

エルサレムは1947年に国連のパレスチナ分割決議で

国連の管理下と決まっているので違法になります。

また1967年の第三次中東戦争によってイスラエルに「占領」されるまで、東エルサレムはヨルダン領でした。

そのため、現在でも旧市街のイスラム教の聖地であるアル・アクサ・モスクの管理は、ヨルダンが行なっています。

またアル・アクサ・モスクの周辺には「嘆きの壁」があります。

ヨルダンとイスラエルは国交がないのでユダヤ人は「嘆きの壁」にはいけません。

イスラエルエルサレムを自国の首都と宣言することは

政治的、宗教的にも大きな意味があるのです。

 

つまり、ユダヤ人にとって聖なる場所「嘆きの壁」があるエルサレム

イスラエルの国の首都にしたい。

イスラエルユダヤ人国家としたいからです。

実際に2018年にイスラエル国会で

イスラエルを「ユダヤ人の国」とする法律が賛成多数で可決しました。

 

 

エルサレム問題はエルサレムの帰属どう解決するかをめぐる問題です。

イスラエルが首都宣言をしましたが、国連の管理下であるため、

違法行為となっております。

解決の糸口がなかなかでてきておりません。

加えてトランプ大統領アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転すると

言って大きな問題になりました。

今度は、なぜトランプ大統領イスラエルの首都をエルサレムにすると宣言したのかを

書きたいと思います。

 

エルサレムの観光に行く前に知っておくべき聖地の歴史【イスラエル・パレスチナ】

 

こんにちは!

 

りょーです。

 

エルサレム、知ってますか?

というより、何のジャンルの言葉か知らない方もいらっしゃるかもしれません。

 

エルサレム

歴史が長く、異国情緒あふれる町並みで観光でいかれる方が多いかと思います。

 

エルサレムの場所URL↓

https://www.google.com/maps/place/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB+%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0/@31.7964453,35.1053189,12z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x1502d7d634c1fc4b:0xd96f623e456ee1cb!8m2!3d31.768319!4d35.21371

 

エルサレムは3つの宗教の聖地 

 

その中でも「嘆きの壁」、「聖墳墓教会」、「岩のドーム

ネットで調べてもトップで観光地として出てきます。

 

それぞれ、ユダヤ教の「嘆きの壁」、キリスト教の「聖墳墓教会」、

イスラム教の「岩のドーム」として各宗教の信者から聖なる地として

絶対に譲れない地となっています。

 

今回はその聖なる地と言われる所以、

エルサレの背景を知って旅に出て欲しいです。

 

嘆きの壁

旧約聖書には、ユダヤ人の祖先であるアブラハムが神に信仰心を試される話しがでてきます。

神は一人息子のイサクを犠牲にするように命じ、アブラハムは悩んだ末に

丘の上の岩にイサクを横たわらせ殺そうとします。

そこで神がお前の信仰心は伝わったと言い、代わりに羊をささげ、

丘を降りました。

このことからこの岩を「聖なる岩」として、岩の場所に神殿を建てます。

ですが、紀元70年にローマ帝国によって破壊され、現在では神殿の西側の壁のみが

残っています。

これが「嘆きの壁」と呼ばれ、ユダヤ教の神殿跡です。

 

岩のドーム

イスラム教徒にとっても前述した「聖なる岩」は信仰の対象です。

天使に連れられ、メッカからエルサレムにやってきたムハンマド

この「聖なる岩」から天に上がったと言われています。

天に上がり、歴代の神の声を聴いた預言者たち(アダム、アブラハム、イエス)に

会い、エルサレムに戻りメッカに帰ったと言います。

その後、「聖なる岩」を丸い屋根に覆い金箔を張り巡らせたドームを

岩のドーム」と言います。

 

聖墳墓教会

エスキリストが十字架にかけられた場所として有名な場所です。

パレスチナの各地で宗教活動を続け、その後、エルサレムに入り捕らえられます。

捕らえられた場所が「ゴタゴタの丘」でこの場所に建てられたのが聖墳墓教会です。

 

 

3大宗教が一カ所の街に集まっているなんて本当にすごいですね。

日本は仏教、神道が多いので馴染みがないですが、

世界各地で起こっている紛争の要因は宗教が絡んでいることが多いので

そう考えると何とも言えない感覚を感じます。

 

最後に

僕自身もいつか行ってみたい場所です。

世界を揺るがしている宗教の聖地は一体どんなとこなのか、

紛争に関わっている人が信仰している宗教の聖地、

数千年前から続いている宗教の聖地、

色々な考えが浮かんできます。

一度自分の目で確かめて、肌で感じてみたいです。

 

そんな宗教の聖地エルサレムですが

アメリカがエルサレムイスラエルの首都にすると宣言して

大変な話題になりました。

今度は、その問題について調べて書いていこうと思います。

とりあえず見て欲しい!ミャンマーのロヒンギャ問題

こんにちは!

 

りょーです。

 

今回はノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー氏の出身国、

ミャンマーロヒンギャ問題について調べてみました。

 

度々、ニュースで見たりしますが、

何のことか分からなかったので、まとめてみました。

 

 

ロヒンギャとは

ミャンマーイスラム少数民族のことを指します。

ロヒンギャとはベンガル語チッタゴン方言の一つを話すミャンマーイスラム少数民族のことを指します。

ベンガル語は主にバングラデシュ、インドで話されている言語です。

 

ミャンマーは国内の9割が仏教徒なのでその数はかなり少ないです。

元々ミャンマー内のバングラデシュに近い地域に居住していたロヒンギャ族は、現在はバングラデシュに避難していたり、ミャンマーに戻ったりしているために居住地域は両国にまたがっています。

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ロヒンギャ問題とは?

元々、ミャンマービルマ)はイギリスに支配されており

隣国であるバングラデシュもイギリスにインド領の一部として支配されていました。

つまり同じイギリス支配下であったため、

バングラデシュミャンマー西部のラカイン州ロヒンギャが元々いた地域)とは自由に行き来が出来ていました。

 

しかし、第二次世界大戦時に日本がビルマに攻め込み占領します。

この時、日本軍がビルマ仏教徒に武器を持たせてイギリス軍と戦わせました。

イギリス軍もこれに応戦して、武器を持たせ戦わせたのがロヒンギャでした。

 

こうして仏教徒イスラムロヒンギャが争い、

ロヒンギャビルマ西部のラカイン州仏教徒から嫌われ

立場を危ぶまれます。

 

さらに2017年にロヒンギャ武装組織がミャンマーの警察施設に武力攻撃を仕掛けたため、ミャンマー軍が徹底的な反撃に出ました。

その結果、ミャンマー軍がロヒンギャを弾圧するための掃討作戦を開始、

結果的に大領虐殺がでる結果となりました。

同年8月には武装部隊や暴徒により村全体に火がつけられ、罪のない多くの

人々が虐殺されました。

その数は1カ月で6,000人以上のロヒンギャが死亡したといわれています。

虐殺された中には5歳未満の子どももおり、女性は性的暴力を受けたようです。
2017年9月5日にミャンマー軍によるラカイン州掃討作戦は終結しましたが、

未だに差別や暴力といった問題は解決できておりません。

 

このような問題もあり

ビルマ政府はロヒンギャバングラデシュからの不法入国者であるとして

国籍を与えていません。

したがって人口も把握されておらず、

推定ではミャンマー国内だけで100万人

いると言われております。

 

一方、バングラデシュからもミャンマーから不法入国者

難民扱いされ国籍を与えてもらっていません。

 

つまり、ロヒンギャは国籍を持たない民族となっているのです。

 

 アウンサンスーチー氏は動けない

この問題に関してミャンマーの国家顧問、アウンサンスーチー氏は

解決のために何もしていないと国際社会から非難されています。

しかし、アウンサンスーチー氏は国家顧問という肩書は持っていますが、

軍や警察の指揮権を持っているわけではありません。

軍部主義の政府をアウンサンスーチー氏が批判すれば

国内対立を起こしかねない状態ですので、身動きが取れない状態なのです。

 

また近年、急激にロヒンギャ問題が顕在化したのはイギリスBBCによる報道がきっかけともいわれています。ロヒンギャ問題は、イギリス植民地時代のロヒンギャ流入が大きな要因の一つです。本来であれば、ミャンマー国民の怒りの矛先はイギリスに向かうはずですが、それをかわすためにも、問題点が「別な場所」にあることを喧伝しているようにも見えます。イギリスが植民地を手放すさい、少数民族に政権を与え、民族紛争を作りだして去るということをこれまでも行ってきました。この度のロヒンギャ問題も、イギリスの諜報活動の一つではないかとも言われています。

 

まとめ

ロヒンギャ問題の要因

1宗教の違い

 ロヒンギャイスラム教徒で仏教徒が大半を占めるミャンマーでは少数民族

 

第二次世界大戦で戦った

日本軍とイギリス軍に武器を持たされでビルマロヒンギャ

 戦ったことがある。

 

アウンサンスーチー氏が手助けできない

 国の実質の指導者であるが、軍や警察の指揮権はないので

 軍部のロヒンギャへの抑圧を止められずにいる。

 

ロヒンギャ問題に関しては色々な情報があります。

宗教の違いは日本人の僕も時間が湧かないのでイメージしづらいです。

今後も世界情勢に興味を向けます。

今回はあくまでその中の一部ですが、事態がこれ以上悪化しないことを願います。

【都市伝説】トムとジェリー 悲しくて泣けると話題の最終回

こんにちは!

 

りょーです。

 

みなさん、トムとジェリーをご存じでしょうか。

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アメリカ発祥のアニメで日本でも放送されてました。

1964年TBS系列で放送されてから何度も繰り返しテレビで放送されており、

今に至るまで愛され続けています。

子供の頃にトムとジェリーを見てげらげら笑っていた方々も多いと思います。

僕自身も子供の頃、トムとジェリーが大好きでテレビ放送を録画しては

何回も見ていました。

見れない回はレンタルビデオ屋に行ってVHSを借りていました。

当時はVHSで借りてましたがもうなくなってますし、

NETFLIXアマゾンプライムの大頭で

DVDもダビングする機会が減ってきていてレンタルそのものが

必要なくなってきています。

本当に懐かしいですね、時代の流れを感じます。

 

トムとジェリーとは

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猫のトムがネズミのジェリーを追い掛け回すドタバタ劇場です。

またこの二匹、常人離れした猫とネズミなんです。

 

トムは不死身でAIロボットを作れる頭脳の持ち主

トムですが、ネコなのに2本足で歩行、

さらにはバイオリン、ピアノ、など王室に呼ばれるほどの腕前。

また、運動能力も抜群で大道芸などのこなし車と同じ速度で走れるほどの

脚力の持ち主。

体もとても頑丈で飛行機から落とされ、ダイナマイトで被弾して黒焦げになっても

次のカットでは正常に戻る回復力。

この回復力はすさまじく、空中から落ちて電線で体が切られても

着地の際に全てくっ付くという異常な細胞を持っている。

 

人間張りに拳銃、車・飛行機の運転、AIロボットの開発を行う器用さ、頭脳もある。

 

体がとてつもなく柔軟である点もすごい

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ジェリーはトム以上に凄い?

 

上記のトムの異常なタフさと頭脳を持ってしてでも余裕で逃げきれる

ネズミである。

 

トムから逃げ切る為に家中に脱出口の通路・出口を冷蔵庫、テレビ、ポスト、オーディオの中などあらゆる所に設置している用意周到な面がある。

 

肉弾戦でもダイナマイトでも死なないトムを骨折・あざだらけにして

入院させるという戦闘スキルと残虐性の一面もある。

 

だがこの二匹の関係性はライバルであり仲良しだ。

共通の敵がいれば、一緒に共闘したり

好きな女の子に振られたら慰めるなどお互いに対して優しい。

ただ、二匹とも恋が成就したことはなく、最後には振られるオチとなっている。

 

 

都市伝説のトムとジェリー最終回

 

トムが歳を重ね、老体となり追いかけっこができない状態になり

ジェリーの前から姿を消した。

これは猫特有の死期が近付いたら、いなくなる習性があります。

また弱った自分をジェリーに見せたくないから、

ジェリーの中でずっと元気な自分でいて欲しいという想いがあり

1人で息をひきとるといいます。

 

そしてジェリーが大人になったある日、

ジェリーの前にトムよりのろまで体も小さい猫が現れました。

喧嘩相手のトムがいなくなって寂しかったジェリーは、

今度はこの猫を喧嘩相手にしようと考えました。

そこでジェリーは、穴のあいた三角チーズが仕掛けられたねずみ取りを利用して、

その猫に罠をかけることにしました。いつもトムにしていたように。。。

猫はチーズに近付いた時に、美味しそうなねずみの匂いに気づき、

目にもとまらぬ速さで隠れていたジェリーに襲いかかってきました。

血まみれのジェリーは薄れ行く意識の中で、本当はネズミが猫と喧嘩して勝てるわけがないことと、

いつもトムはジェリーに「してやられた」ふりをして、

わざとジェリーを捕まえないでいたことを、そのとき始めて知って死んでいったといいます。

 

最後に

 

何とも残酷な最終回です。

ですが、最後にトムの優しさを考えているところは身に染みるところがあります。

トムとジェリーの最終回にはいくつかの都市伝説がありますが

今回紹介した最終回説が多そうです。

 

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他にも気になるアニメの都市伝説の最終回があれば調べたいと思います。

 

タイ北部の癒しとバックパッカーの聖地パーイに行ってきた②

タイ北部の癒しとバックパッカーの聖地パーイに行ってきた①の続き

 

ワットタムウアからバスの最後尾に立ちながら帰る事3時間でパーイに

無事に到着

 

ずっと立っていたせいか帰りは

何故か一切酔わなかったのでラッキーだった。

 

多分立っていた方が酔わないのかもしれない

 

とりあえずホテルを予約してチェックイン

シャワーしてなかったのでとにかく体を洗いたかった。

 

一休みして初日に知り合った現地ツアー会社へ直行

すでに準備が始まっており、笑顔で迎えてくれて一安心

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そこから店の隣の人や色々な人がきて

食べ物を分けてくれたり、

隣の店の人が一緒にお酒を飲んでかなり酔ってきたらしく

俺には彼女がいるんだと奥さんがいるのに喋ってました(笑)

事後は知りませんが、修羅場があったかもしれません。

 

パーイを立つ日に挨拶をしに行った時は笑顔で見送ってくれたので大丈夫だと思います(笑)

 

年越しの瞬間も一緒に街中に連れていってくれて本当にうれしかったです。

 

パーイの年越しはいかにも外国!て感じでした。

 

夜空には、ロケット花火、コムローイ、街中では爆竹、路上ライブと

ある意味カオスでした。

 

ホテルに戻って2時になっても騒ぎ声が聞こえていたいました(笑)

次行く時は、店で知らない外国人と酒を酌み交わし年を越したいですね!

 

 

最初ほんとはBBQに行くかすごく悩んだ(笑)

知らない人だし、勝手に行っていいのか、しかも言葉が分からん、、

だけど、参加して楽しい思いも自信も少しついたので良かったです。

タイ人は優しいです。微笑みの国です(笑)

 

 

タイ滞在3日目

元旦です。海外で年越しをして元旦には現地ツアーに参加している

自分がなんかやるやんと思いました(笑)

 

昨日BBQでお世話になった現地旅行代理店のツアーに参加しました。

 

温泉

ほんと自分でもあほなんですが、名前覚えてません(笑)

パーイが20度ほどだったんで冷水だったら寒く感じると思いますが

体感的にぬるま湯くらいでした。

子連れの人と一緒に泳いで楽しかったです。 

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仏像

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チャイナヴィレッジ

 

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バンブーヴィレッジ

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パーイマウンテン

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パーイマウンテンはグランドキャニオンほどではありませんが

ここに行くまでの道中が楽しいのでおすすめです。
 

 

タイ滞在4日目

パーイ滞在最終日

サンライズツアーに参加しました。

場所は忘れてしまいました。。

 

本当に絶景でした。

一面に雲海が広がっていて旅にきて良かったと思わせてくれる壮大さでした。

カメラで撮って補正なしでここまでできるのはすごい

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そしてホテルに帰宅。

本来なら朝飯がついていたようですが、

チェンマイ行のバスの時間が間に合わなくなる可能性があるので

食べずにチェックアウト。

次は食べたい。。

 

バス停付近に着いたら思ったより時間が余っていたので

付近でご飯を済ませようと思い、

こちらへ入店

 

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チェンマイへの帰りのバスで隣がお坊さんだったがずっと

ラジオを流していて眠れなかった、、、

 

 

 

チェンマイ到着!

ここで気が緩んだのか体が急激にしんどくなった。

まだ旅は終わっていないと体に言い聞かせ、イヴ飲んで体を騙す。

ホテルの予約を取って移動。

 

腹減ったので観光ついでに店探しへ

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ここのパスタ屋美味しかったです

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ホテルに帰ってシャワーしたらまた腹が減ったので、

ホテルの横にあるイタリアンへ(本日パスタ2食目)

ここも美味しかった。

 

 

 

 

タイ滞在5日目

本日最終日。

朝飯を済ませチェンマイ空港に移動。

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ホテルのロビー

 

チェンマイ国際空港

10:25発

バンコクドンムアン国際空港

11:40着

 

帰りの便が20時なのでそれまでバンコク市内を観光。

 

以前来たことがあったので、

とりあえずタイ式マッサージを受けたいと思い、

有田温泉にバスで移動。

結構、綺麗なバスです。

 

有馬温泉に行った後は付近でそば食べました。

やまちゃんもあったのはびっくり、日本のチェーン店が多かったです。

 

 

そのあとは散策しながら空港へ

バンコクドンムアン国際空港

台北経由

関西国際空港

10;25着

 

タイ北部パーイの旅、5泊7日の旅終了です。

友達と行くの楽しいですが、一人で現地に行って旅をするのはまた違った楽しみも

あるのですごくおすすめです。

ある意味体験は何倍も記憶に残ります。

 

次もカオスな街に行きたいですね。

 

 

 

タイ北部の癒しとバックパッカーの聖地 パーイに行ってきた①

 

こんにちは!

 

りょーです。

 

去年の年末に年越しを海外で過ごしたいと思いタイのパーイという

バックパッカーが集う場所へ行ってきました。

 

タイ第二の都市チェンマイから車で3時間ほどのにあるパーイ、

自然豊かで、時間がゆっくり流れる最高の場所です。

 

この記事では筆者が実際に行ったパーイまでの行き方と

現地でのおすすめ場所を書いていきます。

 

 

関空からチェンマイまで

 

15:10出発

関空

那覇空港経由

バンコクスワナンプーム国際空港

00:35着

 

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チケットを取ったのが出発の一か月前、かつ年末で料金が高かったので

節約のため、直行便でなく那覇経由で行きました。

もちろんLCCで(笑)

 

次のチェンマイ行の便が6:45だったので、空港でぶらぶらしてました。

タイ式マッサージ店があったのでそこで肩こりのメンテナンスをしてもらいました。

1時間1000バーツほどだったので、日本円で約3000円、

地方なら半分の金額で済むので、やっぱり空港は高いです。

夜なので、屋根の修理してました。

 

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そのあと、ご飯食べたりして時間つぶし

 

バンコクスワナンプーム国際空港

6:45発

チェンマイ国際空港

8:05着

 

ここからパーイ行のバスを予約するために

チェンマイバスターミナル2(アーケードバスターミナル)に移動。

チェンマイ空港から15分くらいです。

 

ネットで事前予約もできるようですが、

チェンマイ観光も少ししたかったので当日予約にしました。

 

次のバスは12:30発が空いているとのことなので、

12:30で予約。

チケット売り場と近くの風景

 

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それまで時間が空いているので、

近くに市場がないかググってあったので直行。

 

結構にぎやかで、食べ物もあり活気がありました。

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スラムダンクドラゴンボールの漫画も売ってました。

日本の漫画は世界で人気なんですね。

 

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そしてパーイへ向けて出発

 

途中休憩が1回、道の駅みたいな場所です。

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途中カーブが多くてホントに気持ち悪かったです。

合計762のカーブあると言われている

 

酔い止めは必須です。

いたるところにセブンイレブンがありますのでそこで購入できます。

何度も言いますが持っておいて損はないと思います。

それか車内で爆睡できるくらい睡眠不足状態を作る事。

筆者は長距離のフライトの時はこれをやります。

 

 

そして3時間かけてパーイに到着

 

こんな感じ

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ホテルに向かう前に年越しイベントがないか

現地ツアー会社の人に聞いたら一切ないとのこと、、

実はネットで花火が上がっている動画があったので

あると踏んでいました。

後から、地元の人が打ち上げたロケット花火だと分かりましたが、、、

 

落ち込んでたら、ここで家族でBBQするから来る?とのお誘いが!

速攻で行くと言い、2日後の夕方にくる約束をしました。

 

晩は昼とは打って変わり、夜市に様変わり

 

 

 

どの屋台も美味しかったです

 

おすすめはこれですね

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じゃがいも、サツマイモ、トマト、鶏肉、豚肉、アボカド、きのこ、

そしてチーズを上にトッピング、そしえ¥てアルミホイルで蓋をして

チーズをトロトロにして食べます。

これが本当においしい!!

手のひらでは収まらない大きさであり、値段も約450円と破格です!

 

是非探してください!!

 

お金を卸しにATMに行ったが、野良犬が寝ていて断念、、、

 

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初日のホテル

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タイ滞在2日目

この日は寺で瞑想修行ができると噂のワットナムウアに行きました。

 

確か、朝の7:00発だったと思います。

出発場所はバス停のすぐ近くです。

前日にツアー会社の人に場所を聞いていたので、スムーズに行けました。

 

そこからカーブがだらけの2時間の旅に出発。

 

バスの中でワットタムウアに行くタイ人とイスラエル人を仲良くなりました。

二人とも仏教徒タイ人の子は年に数回、イスラエル人の子は今回初めてだそうです。

 

そして最寄りのバス停に到着

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大きな岩肌が目の前にあるのが目印です、

冒険感があってわくわくします。

 

バス停から1キロほど歩いて到着です。

 

説明を聞いて手続きをして早速修行にはいります。

 

寝床は入ったばかりの人はこんなところで雑魚寝です。

ここが満員だったらテントで野宿だそうです。

 

滞在日数が長くなると、コテージに1人で寝泊まりできるようです。

 

 

基本的に毎日同じ内容なので、いつきても受けられる修行内容は一緒です。

ただ年越しは、夜にみんなで瞑想すると言ってました。

 

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↑1日の日程表 

 

昼食を食べ、休憩時間は池の畔でのんびりしてました。

気持ちよくなりすぎて寝転がって昼寝をしてしまいました(笑)

写真の木にもたれかかっていました。

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その姿を見ていたタイ人のに

ここはあなたを助けたいと思っている

それはあなたがリラックスしてくれているから助けることが出来るんだよと

言ってもらいました。

てっきり勝手に昼寝をして注意されたかと思いましたが、

内容は神秘的なことを言っていただきました。

 

 

 

午後はお経を唱えて、瞑想して山に散歩しました。

言い忘れてましたが、服装はみての通り、白服です。

これは、寺からレンタルしてくれます。

 

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1時間はかからなかったと思いますが、

瞑想中は喋らず、ただ自然を感じて何も考えない訓練だそうです。

最初は色々なことを考えましたが、何も考えないようにしていると

心がすっきりしました。

そして午後はお経を唱え、瞑想をしました。

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そのあと、晩御飯を食べ就寝しました。

 

タイ滞在3日目

6:30に全員集まり、お坊さんにご飯をお渡しします。

もちろんご飯は寺が用意してくれ、それを徘徊してくるお坊さんにお渡しします。

なぜこのような行為をするのか英語で説明があったのですが、

聞き取ることができず、分かりませんでした。

次行く時は理解したいですが、誰か知っていたら教えて欲しいです(笑)

 

 

ワットタムウアからパーイに行くバスは1日3本、朝昼晩です。

朝の便は寺までバスが迎えに来てくれるようです。

 

筆者は昼の便で帰りました。

ただ面白いことにバスが

満員だったので、一番後ろに立ちながら帰ることになりました。

写真のバス?の後ろに階段のようなものがついています

そこに立ち、手すりに掴まりながら帰りました(笑)

 

こんな感じ

 

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一緒に乗車して人達がやさしく、写真を撮ってくれたり、

どこから来たのかなど聞いてもらえてとても楽しかったです。

 

現地の人も同じように何食わぬ顔で立って乗っていたので

これは日常茶飯事なのだと思います。たくましいですね、見習います!

 

②へ続く